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2007年4月19日 (木)

とりあえず、本を読む その3

エロマンガ・スタディーズ―「快楽装置」としての漫画入門 Book エロマンガ・スタディーズ―「快楽装置」としての漫画入門

著者:永山 薫
販売元:イーストプレス
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先に断っておきますがエロい話をします。(なんて前書きだ)

漫画研究をしていると、あっさりたどり着くのは「エロ漫画」というジャンルです。漫画研究をしてなくても、人間はエロ漫画にたどり着く、という反論は置いておくとして、エロ漫画というジャンルはあまり表舞台で語られませんが、漫画史において、そしてサブカルチャー史(というものがあるのなら)においても重要な位置付けとなります。

エロ漫画は、エロと冠するだけあってエロティックな描写に溢れた漫画のジャンルです。本書では狭義の定義として「性的な、またはエロチックなテーマで描かれた作品」と「性的な、またはエロチックなモチーフが重要な位置を占める作品」とのことです。

エロ漫画は、「なんでもあり」のジャンルであるといいます。(森山塔の言葉が引用されていました。森山塔は山本直樹の別名です。)ストーリーは破綻していても構わないし(むしろ常に?)、荒唐無稽な設定や状況、身体が描かれます。これらの「なんでも」が「あり」となるのは、根本的なところに「エロ漫画」という特殊なジャンルの、ありていに言えば「目的」が関係します。漫画という媒体に限らず、エロチックな分野というものはある種存在意義が確立されているという奇妙な、しかしながら納得の状況が存在します。

「目的」と遠回しに書きましたが、賢い読者の皆様はそれがなんであるのか海よりも深く理解していることでしょうから説明は省きます。訊きに来ないでくださいね。

本書の言葉を借りれば、「快楽装置」として存在する「「エロ漫画」ですが、これがなかなかどうして興味深い分野です。何より、身体の描写。絵を描いたことのある人なら分かっていただけると思いますが、ヌードデッサンは難しいのです。まず骨格のしくみが理解できていること、そしてその上で筋肉のしくみが理解できていること。それがなければ、服で誤魔化されない身体は非常に「リアル」から遠いものとなります。

「エロ漫画」は、手塚の系譜である記号的な身体で描かれるものもありますし、もっと写実的な表現で描かれるものもあります。しかし、共通するのは、「登場する女性(または男性)が性的興奮を得られる身体として描かれていること」があります。

その上で、様々なフェティッシュ要求(巨乳であること、幼児であること、など)がデータベース的に存在します。東浩紀は本書の帯文で「オタクのデータベースを支える脳内快楽の王国」と述べていますが、「エロ漫画」こそデータベース消費を語る上で欠かせないものなのかもしれません。事実その通りですね。

〈美少女〉の現代史――「萌え」とキャラクター Book 〈美少女〉の現代史――「萌え」とキャラクター

著者:ササキバラ ゴウ
販売元:講談社
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戦闘美少女の精神分析 Book 戦闘美少女の精神分析

著者:斎藤 環
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

このあたりも合わせて読むと非常に効果的です。

なお、このあたりの議論はいずれゼミで扱う予定ですので、本書は購入しておかれてもいいと思います。漫画研究の分野において非常に良書だと思います。

エロい話でした。

先回りしてトラックバックは外しておきました。

*スズキ*

2007年4月16日 (月)

いち発表者の“雑想” vol.1

Lonely 藤咲王子です。先日、「“喪い”の系譜―恋愛という現象から―」という仰々しい題を付した発表をさせていただきました。

発表の内容は、「現代を生きる人間が何らかの<物事>を意識レベルで認識するとき、どのような認識の仕方をするのか」ということを考えてみようというものでした。具体的には<恋愛>という人間固有の概念を足がかりにし、その変遷を眺め、喪われた(解放された)ものを抽出し、そこからもう一段視点を大きくして、現代の人間が何らかの<物事>を認識する際の様子を見てみよう、というものです。…う~ん、全然具体的じゃないですね。

ところで、<発表>というのは大学院生の主な仕事の一つなのですが、その内実は大きく分けて3通りあります。<成功>と<収穫失敗>と<不発>です。

<成功>は文字通り<成功>です。自分の論理が有効性をもち得ることが複数の人間に認められ、場合によっては先生に褒められたりもします。<収穫失敗>は、自分の論理の有効性がその場では複数の人間に認められずとも、有意義な意見や指摘を受け、その後に繋がる光が見えた場合のものを指します。そして<不発>は…、別の言い方をすれば<だだスベリ>とでも言うのでしょうか、お笑い芸人の気持がよくわかる発表のことです。

ものを考える、ということは簡単なのですが、それを論理として組み立てる、という作業はとても難しいものです。その際には当然強度が要求されるわけですから。強度を上げるためには、<解体>と<構築>を繰り返すしか方法はありません。鉄を焼き、たたき、また焼くように。そのような鍛冶場のようなものこそが<発表>という場なのでしょうね。詳しくは、2007年度千田(宇佐美)ゼミ報告集の冒頭をご参照ください。

さて、今回の僕の発表は一体どれに相当するのでしょうか。ヒントは上の絵です。タイトルは「LONELY 論理」。

……確かにフッサールを超えたはずなんだけどなあ……、頭の中では。残念。

2007年4月14日 (土)

動物化する…

5d7cfce8.JPGゼミ員の矢野利裕です。東浩紀という人の『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』(講談社現代新書)という本を読みました。

ここ最近は、何でもフラットにしたがるポストモダンの振る舞いに「それを言っちゃおしまいでしょう」とうんざりしていたので、この本の導入部も全然煮え切らない感じでしたが、第2章の美少女ゲームの考察の部分は個人的にすごく良かったです。まったく新しい批評の論理を作り出さなければならないという内容の文章の中には、東浩紀の熱っぽい人間くささみたいのが、じわっと出てる気がしてけっこう胸に来ました(まあそれがただのインクのしみの集積であることも承知ですが)。しかし、東さんが提案する「環境分析的読解」というのは、従来言われるところのカルチュラル・スタディーズと何が違うのでしょうか。大枠では当然の話のようには思いましたがどうなんでしょう。

賛同するにしても批判するにしても、本ゼミでは避けて通れない一冊だと思うのでちょっとした雑感を書きました。
本日も発表者をはじめ参加者のみなさんお疲れさまでした。

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